坐禅とは
全ての人が例外なく自分自身の内面に本来そなえている仏性を再発見するために、坐禅と呼ぶ禅定の修行を継続するなかで、仏教的真理に直に接する体験を経ることを手段とし、その経験に基づいて新たな価値観を開拓することを目指す。
そうして得た悟りから連想される智慧を以て生滅の因縁を明らかにし、次いで因縁を滅ぼして苦しみの六道を解脱して涅槃に至り、その後に一切の衆生を導くことを目的とする。
坐禅について様々な解説をしても、その真意を知ることはできない。坐禅は実践的なものであり、いくらその意味を理解しようと努力しても無駄である。
只管打坐(しかんたざ)
ただひたすらに坐禅を実践せよの意味。ひたすらとは禅定の深さを表現した言葉である。
意識を捨てて無意識下において坐禅する、坐禅そのものになりきることを意味する。
いま坐禅している自分がいる、という自覚すら忘れてしまうほどに、坐禅という行為そのものに没頭する。
この手法によって初心者でもより深い禅定の境地を容易に体験可能であるとされる。